泥絵(どろえ)
泥絵(別名:胡粉画)は、精製度の低い顔料と胡粉を混ぜた絵具(泥絵具)で描かれた不透明で重い質感からその名が付き、宝暦~天保年間(1751-1844)頃まで上方と江戸を中心に盛行しました。日本画や錦絵と異なり、洋風の構図や主題の作品が多く見られるのは、その重い質感が西洋の油絵具に見たてられているためです。一般的に泥絵は、単に泥絵具を用いた洋風構図の風景画と、舶来の覗き眼鏡を通して楽しむ眼鏡絵またはその流れを汲むもの、という二様の解釈がなされており、円山応挙が元祖の上方系の泥絵は左描きで、様々な仕掛けを施した眼鏡絵の色彩が濃いのに対して、司馬江漢が元祖の江戸系は覗き眼鏡自体の数が少なかったこともあってか、徐々に右描きの普通の風景画となっていきました。土産物として人気のあった江戸系の泥絵では、大名邸を画題としているものが多く見られます。