民藝
大正14年(1925)、それまで重要視されることのなかった、日々の暮らしの中で使われる日用品に美的価値を見出した柳宗悦(1889-1961)が、無名の職人たちによる工芸品を「民藝」(民衆的工芸)という新しい造語で名付けました。その翌年、日本民藝美術館設立趣意書が発表され、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉らと共に、民藝品の中にある、生活に根ざした健全な美(用の美)を訴える”民藝運動”が展開されていきます。各地にある民藝品の調査、収集を通じ、急速な近代化の流れの中で失われつつあった、伝統的な手仕事の文化や技術の復興・再評価が行われる中で、日本人の生活の豊かさそのものが追求されていきました。昭和6年(1931)雑誌『工藝』が創刊され、昭和9年(1934)に日本民藝協会が発足、そして昭和11年(1936)には日本民藝館が完成し、民藝運動はその規模を拡大していきました。運動の中心的役割を担った柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、芹沢銈介、棟方志功、黒田辰秋などの作品や、機関紙『工藝』をはじめとする関連書籍を集めました。
信と美
柳宗悦
東京警醒社 大正14年(1925)
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茶と美
柳宗悦
牧野書店 昭和17年(1942)
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日本の民藝
柳宗悦
宝文館 昭和42年(1967)
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富本憲吉「賀状」
3通
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諸国の民藝
式場隆三郎
講談社 昭和22年(1947)
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