英山 Eizan
天明5年<1787>-慶応3年<1867>
歌川派、北斎派に対して菊川派をなした江戸時代後期の浮世絵師。本姓は菊川、名は俊信。俗称は大宮(近江屋)万五郎。別号は重九斎。作画期は文化初期から文久頃。狩野派の絵師だった父・英二に学んだ後、鈴木南嶺に師事。北渓、豊国らと交流があり、その影響を受けたと言われています。処女作の役者絵は16、17歳頃の作で、21歳の頃には既に一流の浮世絵師として認められていました。美人画と役者絵を得意として、草双紙の挿絵なども多く手掛けています。退廃的な風潮が濃く見られた文化・文政期にあって、穏やかで落ち着きがあり、爽やかな印象を与える伝統的な美人画を描き続けました。弟子に英泉、英里、英信などがいます。