マン・レイ Man Ray
1890年-1976年 アメリカ・フィラデルフィア出身
写真家。画家。芸術作品の持つアウラへの懐疑心を軸に、生み出しては複製し、ときに紛失したりしながら作品を制作。マン・レイにとって作品の物自体はあくまで二次的なものであり、重要なのはその記録の中に在る概念でした。マン・レイは仕立て屋の父と、お針子の母のもとに誕生。高校を卒業すると絵画制作に専念することを決意し、アルフレッド・スティーグリッツの291画廊を訪ねたり、美術学校が主催するドローイング教室に参加するなど着々と活動する傍ら、地図製作の図案家としての仕事も始めます。1913年、ニュージャージーの芸術家たちのコミュニティに転居。その地で写真技術を習得します。また、マルセル・デュシャンと出会い、オブジェやコラージュの制作、雑誌『ニューヨーク・ダダ』の発行など、ニューヨーク・ダダに身を投じていきました。1921年、デュシャンに誘われフランス・パリへ。アンドレ・ブルトンなどシュルレアリストたちと交流を持ちました。そしてこの頃から生活のために職業写真家として、他のアーティストたちの作品や肖像を撮り始めます。また、現像の際に過度の光を当て白黒を反転させる「ソラリゼーション」という現象を発見。以後この手法を用いて、過去作の焼き直しも含め多くの写真作品を制作しました。第二次世界大戦が起きるとアメリカに帰国しますが、1951年再びパリへ移住。商業写真の仕事とは距離を取り、晩年は絵画を中心に制作しました。
1912年 ラドニツキー家、姓をレイへと変更。以後サインを「Man Ray」に変更。
1921年 パリへ移る。リブレリー・シスにて初個展「ダダ マン・レイ展」開催。
1944年 カリフォルニア州のパサデナ・アート・インスティテュートにて初の大回顧展「回顧展1913-1944:マン・レイの絵画、素描、水彩、写真」開催。
1951年 パリへ戻る。
1966年 ドイツ写真協会文化賞受賞。
1976年 フランス政府より芸術功労章受章。