ジョルジュ・ルオー Georges Rouault
1871年-1958年 フランス・パリ出身
フォーヴィスムを代表する画家の一人。ルーベンス、レンブラント以降最大の宗教画家と評され、自身も「キリスト教画家」と称した。19世紀末に敬虔なカトリック信者の家に生まれ、14歳でステンドグラスの徒弟奉公をする傍ら、装飾美術学校で絵を学びました。1890年、ステンドグラス工房を辞め、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学すると、フランス象徴主義の先駆的画家であったギュスターヴ・モローに師事。師モローへの敬愛の念を強く持っていたルオーは、1898年のモロー没後に旧居を開放して開館されたギュスターヴ・モロー美術館の初代館長を務めています。1903年、共にモローの指導を仰いだアンリ・マティス、アルベール・マルケらと、後にフォーヴィスムが誕生する契機となったサロン・ドートンヌ創設に尽力。太く黒い輪郭線と鮮やかな色彩が特徴的な画風を確立し、道化師や娼婦、貧者など、パリの市井の人々を描いて、社会に対する怒りや悲しみ、絶望を表しました。1917年に画商アンブロワーズ・ヴォラールと専属契約を結び、版画制作に注力。ペテン師や億万長者の愚弄さを表現した『ユビュおやじの再生』や、戦争の悲惨さを描いた『ミセレーレ』などを刊行しました。1935年にはルオー芸術の集大成とも言うべき、キリスト最後の日々を描いた油彩画の連作「受難」が完成。何重にも厚く塗ったマチエールが特徴の作品からは、キリストに対するルオーの深い愛と共感が感じられます
1894年 『学者たちの間の少年イエス』でシュナヴァール賞、『トゥリウスの家でのコリオラン』でフォルタン・ディヴリ賞を受賞
1903年 サロン・ドートンヌに出品。以後1908年まで毎年出品
1917年 画商ヴォラールと専属契約を結び、ヴォラール家の最上階にアトリエを構える
1919年 1917年に政府買い上げとなった『学者たちの間の少年イエス』が、コルマール美術館に展示される。※初めての美術館展示作
1932年 版画集『ユビュおやじの再生』刊行
1938年 ニューヨーク近代美術館で版画展開催
1945年 ニューヨーク近代美術館で大回顧展開催
1947年 ヴォラールの遺産相続人に対して起こした未完成作品返却の裁判に勝訴。未完成作を全て焼却する
1948年 版画集『ミセレーレ』刊行
1951年 レジョン・ドヌール三等勲章受勲
1958年 自宅にて死去。サン・ジェルマン・デプレ教会にて国葬される