元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り、主君の仇・吉良上野介を討ち果たしました。「仮名手本忠臣蔵」の元になった所謂「赤穂事件」です。
義士たちの仇討ちは忠臣の物語として喝采を浴び、浮世絵や歌舞伎、映画と形を変えて現在でも多くの人々に楽しまれています。「仮名手本忠臣蔵」に材をとった三代歌川豊国による大判揃物「誠忠義士伝」(1864)は、同じく初代歌川豊国の門弟であった、歌川国芳が先に制作した同名作(1847~52)とは異なり、当時人気だった歌舞伎役者を義士に見立て、さらに人物名も役名ではなく、本名で記されています。